東日本大震災から2年〜名取偏「苦しい場所」〜

(注:以下の文章はセンシティブな内容が含まれておりますが、あくまでも自らの意見を発信しております)



松島から車を走らせる事1時間、名取という街の海岸に近い道を車で走らせていた。初めての道を走る時は、いつもすこし心が踊るのだが今回の東北のドライブはそういう場所が本当に少なかった。この名取も例外ではない。同じ日本で陸続きの島にいるのだが、そこだけ切り取られたかのように違う世界に入ったかのような錯覚に襲われる。

名取は海岸線から平地が10キロほど内陸に向かって伸びている。農作物を育てる畑や田んぼが一面に広がっている土地だ。そしてぽつぽつと農家の家が所々に一軒家を構えている。それが震災以前の名取だ。今は家は跡形も無く、塩害の土地を元に戻す為の作業が黙々と続けられている。

広大な土地は、どこまで塩害の被害を受けているのか把握する事すら難しいように想える。自分が通った道路の左右は、間違いなく数キロにわたってその作業を行う必要があると思うとどうしても明る気持ちにはなれない。見渡す限り被害の地が広がっている。

そこを南に向かっていくと、名取川にぶつかる。川を渡ったところを左へ、海川へ道を折れると、閖上地区へでる。名取川のほとりでは、多くの地元民が釣りを楽しんでいた。しかしそこの水門はコンクリートがはがれ一部が破損し、傾いている。名取川から後ろを見ると、緑が広がっている。しかしそこには間違いなく家屋があった後が見て取れる。人の腰ほどの高さの雑草が所狭しと生い茂っていても、そこには所々元あった家々の土台が見て取れる。

土ぼこりが舞う。海の向こうからスクーターで老人がこちらへ向かってくる。足を踏み入れてはならぬような、ただならぬ空気を感じ取り、結局釣り人達がいるところで車を引き返す事にした。地元の釣り人たちがいる前で、多くの人たちが無くなった場所を闇雲に車を走らせるのはいいことではないだろう。ただならぬ空気は、地元の人々から発せられていたのかも知れない。

今まで訪れた被災地には、地元の人は皆無であった。つまり、地元の人が居る場所は限られていて、観光地かもしくは仮設住宅になるのである。観光地であれば、自分は観光客としてそこへ招かれ歓迎される。しかしどうだろう、閖上地区はそういう場所にもなりえない。ただ忽然と一つの街が消えた。

そこの地元の人と思われる人々が、消えた街を背中に釣りをしている。当時の悪夢はもう二度と見たくないと言わんばかりに、閖上地区に背中を向けて釣りをしている。なぜかそのとき自分には、その背中一つ一つに、目がついているのでは無いかと感じたほどだった。異質な空気を生み出す地域、閖上地区。この旅で、一番苦しい場所だった。

閖上地区を後にし、一路仙台空港方面に向けて車を走らせる。途中に高く積み上げられた土が所々に見られる。閖上地区にあった歩道橋すれすれまで来た津波を、道路で威力を弱めようという方法のようだ。当時の映像で、建物を破壊しながら進む黒い魔物は、名取の住人に逃げる時間を与えなかった。西へ伸びる一直線の道を、車でアクセルペダルを床一杯まで踏み込まないと逃げ切れるようなものではない。防波堤になるであろう建設中の道の高さは、7メートルほどになるそうだ。これで数分でも逃げる時間を創出できる事が出来れば、大きく変わるであろう。

予想を遥かに超える津波の高さは、人がどんな建造物を建てようとも、その予想を遥かに越える脅威を見せつける。自然に対抗しようとしない名取市長の考え方は、もしかしたら一番理にかなっているのかも知れない。ちょうど広島の厳島神社の板が浮くようになっているように、津波が街を避けていく。様々な津波や震災に対する危険回避能力は、日本を置いて他の国にはまねの出来ない技術が今後盛り込まれるようになっていくだろうと思っている。そういうような技術は、津波の被害を受けながらも助かる事が出来た人たちに対して、少しでも安心感を与えて欲しいと切に願う。



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