東日本大震災から2年〜日本三景松島偏「1.5m」〜

(注:以下の文章はセンシティブな内容が含まれておりますが、あくまでも自らの意見を発信しております)



陸前高田から更に北上し大船渡に向かう。工場が多く点在する大船渡には、すでに湾に中型船が停泊し工場を中心に復興が進んでいる印象を受けた。けたたましいエンジン音とともに、土ぼこりが宙を舞う。復興の為のトラックなのか、産業用のトラックなのかは見分けがつかない。

しかし町中は既に見てきた場所と変わりがなかったのは確かだ。電車が通っていた場所には現在バスが走っている。それでもまだ全てが開通されているわけではなく、運行されているのは一部だ。ポストより鮮やかな赤をしているバス停は真新しく、太陽の光を反射する光沢を持っている。新しいものがある場所、そこは何も無くなった場所でもある。

その日は大船渡までで切り上げ、翌日は南に向かった。日本三景松島を訪れる。津波の高さが1.5Mと比較的少なかったその場所は、既に観光地としての姿を取り戻しているように見える。お店に入っても特に通常の観光地のような印象で、気さくな店員さんが話しかけてくれる。とあるお店の人から伺った話では、1階部分が全て破壊されたため商品陳列に箪笥や大きな壷などで代用しているとのこと。言われなければ分からないが注意深く品物が置いてある台に目をやると、その通り腰辺りの高さの箪笥に布を被せてある。またいつくるか分からない津波を心配し、元あったガラスケースなどは買っていないそうだ。

1.5Mの津波が比較的低いと言っても、観光地の機能を麻痺させる甚大な被害を受けている。国宝瑞巌寺に続く松林は、その三分の二まで津波が押し寄せたという。後で地元の人の話を聞くわけであるが、妙に切り株が多かったのは塩害により枯死してしまった松を切った跡だそうだ。

震災前より多い木漏れ日が空から降り注いでくるのは、その松林を明るくさせる。陸前高田の一本松と比較してしまうと、どれだけ被害が少なかったかが分かる。明るくなった松林には、残った松林が枯死した木々の分まで生きようと、精一杯太陽の光を浴びに天に伸びている。人間もまた斯くあるべきだと想う。

松原ではとある酒屋でお店の話を聞く事ができた。幸い松原は観光地という事もあり、津波による死者が奇跡的に一人もでなかったという事実もある為、お店の人の話を聞きやすい雰囲気があった。

そこのお店は一階と地下の酒蔵が見事に津波にやられてしまったという。津波がくるということで、地震直後は瑞巌寺の方へ逃げ一晩そこでお世話になったという。

そのお寺では額に飾られてあるものが全く落ちていなかったという。「片付けるのが早いですね」酒屋の方がそのように住職に話しかけると、もともと落ちていないのですと穏やかな表情で返事を返してきてくれたそうだ。当日の夜は震度4クラスの余震が何度か続いた。その度揺れるわけだが、木造の建造物は体感震度が2位に感じたという。耐震構造など色々な方法で建築が進んでいるわけであるが、数百年前に建立された建造物の中が一番安心するという不思議な体験をしたそうだ。

しかしそれでも3月の夜は雪も舞うほど寒い。結局その夜は寒さで一睡も出来ないまま夜が明けた。そんななか住職がおにぎりを振る舞ってくれたという。電気・ガス・水道、所謂ライフラインが寸断されている状況下では、炭で火を起こし釜でご飯を炊く。そんなアナログであるが確実な方法を知っている人たちが重宝されるのは言うまでもない。無くなって初めて分かる便利さは、実際にその状況にならないと実感できない場合が多い。

翌朝自分のお店に戻ってみると・・・



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です